南大東の歴史・文化
南大東島は、江戸時代の後半に歴史に登場しました。1820年(文政3年)、ロシア艦船「ボロジノ号」が大東諸島を発見し、南大東島を「サウスボロジノ・アイランド」と命名しました。
これが南大東島が歴史に登場する最初の記録です。
その後、南大東島は1885年(明治18年)に沖縄県に属しましたが、当初は無人島でした。
八丈文化と沖縄文化の融合
1900年(明治33年)に八丈島から23名の開拓移民が上陸し、南大東島は有人島となりました。しかし、島に人が住み始めたのはわずか125年ほど前であり、その歴史は非常に短いものです。南大東島は、古くは琉球の伝説に「うふあがり島」として登場しており、沖縄県に所属した後も開拓の試みが数回行われましたが、最初の試みは失敗に終わりました。
南大東島の歴史は、沖縄文化と八丈文化が混ざり合い、他の地域とは異なる独自のものとなっています。
日の丸山展望台
豊年祭り
南大東島で一番賑やかな行事が、毎年9月22日と23日に行われる「豊年祭」です。この祭りは、豊作を祈り、島の人々の絆を深めるために行われます。大東神社で神式の祭典が執り行われ、神輿や山車、仮装行列、相撲、演芸など、さまざまなイベントが楽しめます。
豊年祭は、沖縄ではあまり見られない江戸文化の特徴がみられます。神輿や山車、そして江戸相撲が行われます。特に奉納相撲は、単なる競技ではなく、神聖な儀式としての意味も強く、見ているとその大切さが伝わってきます。
この祭りでは、島出身の人々が帰省したり、観光客も多く訪れるので、南大東島行きの飛行機はほぼ満席になります。祭りが進むにつれて、神輿や山車はそれぞれの地区に戻り、夜まで賑やかな雰囲気が続きます。
金毘羅祭
金毘羅祭は、毎年10月10日に南大東島の金比羅宮で行われる祭りです。この祭りは、航海や港湾荷役、出漁の安全を祈願するもので、特に港湾関係者や漁業従事者を中心に、村の有志が集まって神式の祭事が執り行われます。
金毘羅祭では、参加者たちが無事な航海や漁の成功を祈りながら、神前で祈りを捧げます。海の安全を願うこの祭りは、島の人々にとって大切な行事であり、地域の絆を深める意味でも重要な役割を果たしています。
アクセス情報
社名 | オフィスキーポイント |
事業内容 | 洞窟ガイド |
代表者 | 東 和明 |
所在地 | 〒901-3805 沖縄県南大東村在所52 三島商事きらく家L2 |
TEL | 090-5082-4949 |